3.11

昨日で、東北大震災が起こって1年が経ちましたね。

…早いものです。


今回、病気のこととは関係ない話ですが、お付き合いください。(最近病気のことあまり書いてないけどw)




私の住んでる地域も被害がありました。
津波の被害はなく、あの凄まじい光景ではありませんでしたが…。





…その前に。
この地震によって亡くなられた方々、そのご家族…たくさんの方々が傷つきました。
私は何もできませんが…ご冥福をお祈りいたします。






…うちの方ですが、震度5弱(強だったかも…?)でした。


言葉では簡単に言えますが、あの揺れはホント立っていられないほどでした。



あの日、仕事が休みだった私は兄夫婦宅に行ってました。

兄夫婦宅は、自宅から車で約30分のところにあったので、お昼を買ってガソリンを入れて行きました。


そして、義姉は買い物に行きたいというので、姪を母と2人でみてました。

それが午後2時すぎ。


姪はあまり泣く子ではなく、基本手のかからない子で、いつもみたいに眠くなってきたから少しぐずりだして抱っこしてあやしてました。


午後2時半すぎ…。
普段泣かない子が、急に泣き出したんです。
それも尋常ではないくらいの泣き方。


もう、大泣きを通り越して喚いてるほど。
どこか痛いのかとか、具合が悪いのかと母とパニックになったほど。

そして、あまりに泣きすぎて息できてる?ってほどに…。


もう、何をしてもダメでどーしようかと思っていたら義姉が帰ってきて、「珍しいね、どーしたんだろーねー?」なんて義姉が抱っこしてあやしはじめたら、すっと泣き止みました。


あぁ、ママがいなくて不安だったんだねーなんて話してた途端、あの地震がきました。



それはもうすごい揺れで、立ってられず、ただ揺れがおさまるのを待つしかありませんでした。

私はとにかく、姪の上に覆い被さり、何か倒れても姪だけは傷つけないように必死でした。


あと、余震もひどくてその際は、コーヒーカップを守ってました。(笑)


兄がとても大切にしているカップで、壊すわけにはいかない!と必死で守ってました…。←バカ。



その後、自宅にいる父が心配で携帯にかけましたが繋がらず…。


携帯が全く繋がらなくなってしまいました。


兄からの連絡だけは繋がって、安否確認はとれました。
兄が父にも連絡をとってくれたらしく、無事なことだけはわかりました。


とりあえず、すごい余震で身動きがとれない状態で、一時間程様子をみたのですが一向に余震が収まる気配がないので、早めに帰ることに。



なるべく大きい通りを通りましたが…停電で信号が止まってしまって道路はパニック状態に。


兄宅は停電になっていなかったので、のん気にしてましたが、自宅に向かうともう停電でした。



信号が止まってるのでみんなイライラし、強引に入ってくる車、無理に渡ろうと道路を塞いでしまう車、クラクションは鳴りっぱなし…もうここは日本なの?ってくらいひどい状態でした。


こういう時こそ、譲り合いが必要なのに、みんな早く帰りたい、家族が心配…みんな同じなんですよ。


誰も平気なわけない。

そんな中、警察官が手信号で交差点に立ってましたが、それすら無視する人もいたはずです。


みんな不安でした。




うちは自宅まで約3時間かかりました。
普段30分の距離なのに…。


帰り道のコンビニでは、大行列ができてました。
停電で真っ暗な中…。



地震発生から、約4時間後…自宅に帰れましたが、ショックでした。


食器はほとんど全滅。
部屋はもう足の踏み場もないほど荷物が落下し、壁にはヒビが入り…窓にも隙間ができてました。


庭のでかい灯籠は倒れ、木も傾いてました。



あと、停電してました…。


真っ暗な中、そのめちゃくちゃになった家の中を見ると涙がでてきました。


真っ暗だと恐怖感は増し、心も不安定になるもの。


一つの部屋に家族みんな集まり、父が車から運んでくれていたキャンピング用品でどうにか灯りがとれました。



電気を使わないランプで灯りをつけ、ストーブは使えないので毛布を何枚も被って寒さをしのぎました。


まだガスは使えたので、母が真っ暗な中小さい懐中電灯でうどんを煮てくれました。


でもそれもなかなか喉に通ってくれませんでした。



友人や会社の人達と連絡はとれず、不安な中ラジオだけつけてその日は寝ました。





次の日も停電は続いていて、とりあえず食べ物の調達と考えましたが、足が動かず…父が情報収集に出かけました。


そして、近くで炊き出しをやっていると聞いたり菓子パンを買ってきてくれました。




うちの地域は次の日の夕方に電気が通りました。



たった一晩でしたが、あんなに不安な日はありませんでした。



電気が通ってから、あの津波のことを知りました。




…衝撃的でした。
あの光景は忘れられません。




茨城に住んでいる親友、幼なじみ、福島に住んでる友人も無事でした。


それだけが私にとっては救いです。




今生きていること。
感謝せずにはいられません。




まだまだ復興には時間がかかります。
被災地の人達の心が心配ではありますが…これからゆっくり時間をかけて少しでも、ほんの少しでも心の傷が癒やされますよう、祈るばかりです…。