(´д`)

スミマセン、私タイトル考えるの苦手ですw


はい。
右半身麻痺になってしまったので入院しなきゃいけなくなったんですが、父の転勤が決まっていたので、引っ越ししなくてはなりませんでした。


ただ私は退院できないので私はそのまま病院に残り、兄がいるのですが兄は学校があるので引っ越し先へと行かなくてはならず…父と一緒に行ってしまいました。


母は私のそばに残り、病室の簡易ベッドで数日過ごしましたが、先の見えない入院生活…このままでは体調を崩しかねないのでウィークリーマンションで過ごしたそうです。



私はというと、右半身の違和感はありながらも少しずつ回復していました。



お箸は難しかったけど、字は下手くそながらも書けるようになってきて…。


歩くこともできるようにまで回復しました。



しかしまだ10歳の子供。
私につきつけられた現実は残酷なもので、心に深い傷が残りました。


何よりつらかったのが、家族と離れたこと。

ブラコンか?ってくらい兄っ子だった私は、兄と離れたことが寂しかった。


お兄ちゃんに会いたい…と泣いた記憶があります。


そして両親の目をみるのがつらかった。



自分を責めているのがわかるんです。

「この子を病気にしてしまったのは私達のせいだ…」

という目。


愛情は痛いほど伝わりました。
でも、なによりも私のせいで両親を苦しめている…という現実がつらかった。




約1カ月ほどで退院し、兄のいる引っ越し先へと行きましたが、そりゃあ悲しいもんでした。



原因がはっきりしておらず、出血箇所が脊髄なのはわかったが、その血管が脊髄の中なのか、神経の束の外なのか…CTやらMRI検査でははっきりせず、血管造影検査でもわかりませんでした。


なのでちゃんとした治療はできず、右半身は自然に回復したので、定期的に検査をする…しかできませんでした。



学校には新学期に数ヶ月遅れて入り、体育は禁止され、重いものは持たないように、走らないように、無理しないように…と、たくさん言われました。


…小学生にはつらいことですよね。
友達と追いかけっこしたいし、ブランコだって乗りたい。

運動会だって出たい…。



運動会で学年全員が参加しなければならない種目。


私は出れませんでした。




応援席でポツンと1人椅子に座って眺めてました。


その時、見にきていた生徒の親はヒソヒソと「あの子でないのかしら?」「全員参加じゃないの?」と話しているのが丸聞こえでした。
痛いほどの視線を感じ、泣きたくなるのを必死で抑えてました。


前に書いたけど、私は運動が大好きで唯一私の陽の当たるイベントだったんです。


それをダメと言われ…見るしかできず、ジロジロ白い目で見られ…しまいには、運動がキライな生徒からは「ズルしてんじゃねーの?でたくないからって堂々とサボってんじゃねーよ。」と散々言われました。



言い訳しても信じてもらないのはわかっていたので、弁解することもなく黙って我慢してました。


修学旅行も診断書がないとダメだとか…言われたり、泣きたくなることがたくさんありました。



その時、病気をしたことがこんなにも嫌な思いをするんだと知った気がします。


自分だけでなく親もきっとつらい思いをしていたと思います。



それから中学生になり、再発の心配もないだろうと病院に行くこと、夏休みなどを使って検査入院をすることもなくなりました。



高校も無事に卒業し、就職も無事に決まりました。



恋もしていたし、自分があんな病気をしたことなど忘れられるほど普通の生活が送れてました。




…暗い話だな。(笑)



愛犬が遊べとせがんでるので、このへんでやめときまーす(゚∀゚ゞ)